元ガミガミママ、今「親教育の専門家」

幼少の頃から、ガミガミママ、親教育の専門家になるまでのプロフィールです。


幼少~結婚


「勝気な子」幼少の頃、父が友人に私を紹介するときに使っていた言葉です。

その頃は意味が分からなくて、でも、ずっとその言葉が頭に残っていました。

愛知県瀬戸市の当時の新興住宅街で育った。

図工と体育が得意で、他の教科は普通。

ドッチボールは誰にも負けない自信があった小学校時代。

家では父と母のケンカが日常茶飯事。

寝ている布団の上を二人が駆け抜けていくことも。

この頃、父はそれまで勤めていた会社を辞め、自分で会社を起こしている。

会社が軌道に乗るまでは、母が昼夜働いて家計を支えた。

幼少期、母に声を荒げて怒られた記憶はない。父はとても怖かった。

小学生の頃の私にとって、これは普通の光景、でも、あまり人に言っちゃいけないのかもと幼いながらに思った記憶があります

今考えると二人はとても人間的だった。子供のために、自分が損をしても献身的に考える母の大きな愛と、常に自分自身、社会と戦ってきて正直な父。

心から二人のそれぞれの幸せを願っている。


高校時代~上京


小さな頃から漫画家とシンガーソングライターになると決め、地元のデザイン科のある高校に進んだ。

学校の帰り道、一人になると、自作の曲と詩を口ずさみながら空と新興住宅街の風景を眺め、家に帰ると夜中まで漫画を書き、出版社に送っていた高校時代。

学校や世の中の権力と不公平さに焦燥感を抱き、勉強をする意味が分からなくて、高校時代2回の家出。好きな事を好きなようにやりたかった。

2度目の家出は深夜バスで友達と東京にやってきた。

これで自由になれると思った。でも、3日でお金がそこを尽きて家に電話を入れる。

高校は辞めるつもりだった。勉強する意味がないと思った。

でも、辞めなかった。親が学校に謝りに行ったのだ。

 

高校卒業と同時に上京。

音楽の専門学校に通い、ライブ活動をしながらながら漫画を描いた。

卒業後も、好きな事をするために働き、音楽活動と執筆活動を続けた。

縁あって、ある出版社が発行する雑誌で2本の漫画を掲載。その後は漫画を描かなくなり、音楽付けの生活となる。

たくさんの友に恵まれた。自分を高めてくれる出会いもあった。

幸運なことに、自分の書く曲と詩が好きだと言ってくれる人も多く、音楽事務所やレコード会社とのデモテープ作りやソロでのライブ活動も行なった。

好きな事をしているはず。でも、いつも満たされないものを感じていました。

印象に残っているのは、20代の中ごろ、大勢の友達といる時、強烈な不安に襲われたのを今でも覚えている。

「さびしい」「切ない」

一人になりたくない、でも、誰かといても寂しい。

当時は上手く言葉に出来なくて、その思いは詩を書くこと、曲を作ることで消化していたと感じます。

 

そんな中、友達の紹介で今の主人と出会い結婚、出産。

出産前後には夫婦の価値観の違いが露呈して、お互いを傷つけあう事多々。

夫婦でいても「さびしい」「切ない」気持ちを抱えていました。

詩も曲も書きたいけれども、なかなか書けないまま、出産後3ヶ月で行なったライブを最後に音楽活動を休止。

 

出産直前、お腹の子が生まれてくるのが寂しい…と思った記憶があります。

その時の私を動かしていたのはお腹のこの子だけ。

 この子が私のお腹から出てしまったら、自分はまた一人になるのかと。

 

出産~不機嫌な子育てへ


生まれてきた我が子は本当に可愛かった。

幸せにしたいと思った、やりたい事をやらせてあげたいと思った。

この子のために頑張ろうと思った。ほとんどやった事のない裁縫で、ベビー服を作ったりもした。

子どもの笑顔を見るのが楽しかった。

家計を助けるために子どもが4ヶ月から2歳まで派遣で働きました。

資格取得もさせてもらえ、働き先に恵まれました。時間がない中でも、子どもの笑顔に癒されがんばれました。

でも、この頃、夫婦喧嘩が一番多い時期でもありました。

「もっと子どもと関わるべき!」「もっと子育てを手伝うべき!」

後に、我が家の夫婦関係は修復し、その頃の夫も苦悩も理解し、今では頼れる旦那!と胸を張って言えるが、この頃の出来事を話し始めると感情的になる自分がいる。

子どもが小さな時の、妻が感じている夫の協力度合いが、その後の夫婦関係を作っていく大きな要因の一つとなるのは間違いないと思う。

 

成長していく子どものそばにいたい。

息子が2歳を過ぎた頃に仕事を辞めて専業主婦になった。

24時間子どもと一緒の生活。

夫婦関係は相変わらずで、一人で育児をしている感覚。

子どもがつまらなそうにしているととても気になった。

家にずっといることが悪いことをしているように感じた。

子どもを飽きさせないために色々なところに出かけた。

友達をつくってあげないと、色々体験させてあげないと。

あれもこれも出来るようにしてあげないと。

この頃から子どもへの小言が多くなっていく。

子どもは言われて動くもの。子どもなんだから。

 

子育てのリバウンド~


疳の強かった長男は毎晩のように、寝入って1時間すると泣いた。

大声で叫びながら部屋中を歩き回った。

「大丈夫だよ」と言いながら抱きしめる時もあれば、疲れてクタクタの時は本当に憎たらしかった。

育児書を読むと、親の昼間の接し方が問題だというものもあり、子どもが可愛そうだと自分を責めたり途方にくれた。

後に、これは親の接し方が大きな問題ではなく、一過性のもので、子どもにも悪影響がないと知る。

 

幼稚園に入ると更に、子どもの言動にイライラした。

箸の使い方、走り方、姿勢、勉強、友達づきあい、ありとあらゆるものが気になった。

「箸の持ち方はこうするもの」「何で出来ないの!」「走る時は手を振るの!」「毎日このトレーニングをして!」「やる気あるの!?」

息子が愚図りだすとさらに小言は続いた。

いくら小言を言っても、私の気持ちは晴れなかった。笑顔は消え、毎日が「不機嫌な子育て」

後に、息子からは「この頃のママはめちゃめちゃ怖かった!」と正直な感想を聞かせてくれた。

 

子どもが母におびえていたその時、私にとっても辛く絶望の日々でした。

小言を言ったり、「もう知らないよ!」と背を向ける心の中は、このままでは子どもをダメにしてしまうと感じているから。

この状況を変えたくて、ありとあらゆる育児書を読みあさり、この悩みを解決してくれる情報を求めてネットサーフィンをした。

 

良いと言われることはほとんど試した。それでも状況は変わらず、むしろ更に悪化した。

まさに「子育てのリバウンド」の繰り返し。

 

なんの突破口もないまま、息子が小学校入学。

小学校に入れば子どもの行動も気にならなくなるかもしれない。

残念ながら、そんな淡い期待は打ち砕かれ、子どもが学校にいる間も子どもの行動が気になって仕方がなかった。

家に帰ってくると子どもに「ああしたほうがいい、こうしたほうがいいい」と口を出した。愚図ると更に攻め立てた。

この頃の私は「虐待をしてしまう人の気持ちが分かる…」「子どもを愛せないかもしれない…」それは心の持ちようを変える程度では解決出来ない限界ギリギリの状態でした。


何を考えているか分からない


もう手はないのだから、このまま我慢していくしかないのだ!と思った息子小学校2年生の2学期の初め。

いつものように小言を言っていると、息子の態度がいつもと違うように感じた。

今までだったら、ごめんなさいという態度か、愚図るはずなのに、あきれたような冷淡な目つきをしている。

「何を考えているか分からない…」と思った瞬間、強烈な「恐怖」が私を襲った。

「何を考えているか分からない子と暮らしていけるのか!」

「何を考えているか分からない子のためにご飯を作り、世話をすることが出来るのか!」

答えはNO!

すでに、育児書は読みつくした。ネットも見つくした。

残っているのは絶望で、何も手に付かなかった。

絶望から数日後、それでも何かないかと重い足を引きずって、普段は見ない本屋の教育専門書コーナーに出掛けた。

 

そして、その時に「親業」の本を手にする。


自分のやり方を変える決意


親業<子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方>と題された、細かい字で300ページ近い書籍。

本屋の棚の前、筆者の前書きを読んだだけで「目からウロコ」が流れた。

 

「ほとんど何も自分でできない小さな人間の肉体的、精神的健康に全責任を負い、生産的、強調的で、なにか貢献のできる社会人に育てあげるという親業に。これほど困難で、能力を必要とする仕事が他にあるだろうか。」

「子供が生まれて、親がはじめて最初に犯す大きな過ちは、自分の人間性を忘れるところにある。」

「親はしろうとである、親は非難されるが訓練は受けていない」※「親業」トマス・ゴードン著

 

その中には、子供の人間性回復、親の人間性回復を基本にした、親子関係のつくり方の概念と方法がシステマチックに書かれていた。

 

私はやり方を知らないだけなのだ、やり方さえ訓練すれば、子どもとの関係をやり直せるのだ。

これが最後のチャンス。自分のやり方を変えよう!

そう心に堅く決めて「ママは親業を学んで変わる!あなたといい関係が作りたい」そう息子に宣言して実践しはじめた。

 

効果はすぐに出た。

 

昔にだけは戻らない!


でも、今までの自分をやり方を変えるのは容易じゃない。

始めた当時、毎日のように不機嫌になる自分の心に向き合うだけで大変な苦労を要した。それをあらわす適切なやり方をするには忍耐と努力が必要だった。

時には、この子は言われないと出来ない子なんだから、こう言われてもしかたがないのよ!と、私は確信した!と思うくらい怒りに支配される時もあった。

でも、昔にだけは戻らない!と決めて、とにかく実践した。

昔に戻りそうになると本を読んだ。はじめて2年は毎日読んでいた。

 

すると、ある日、これまで気になっていた子供の行動が、努力しなくても気にならなくなってきた。

長らく、子どもが解決すべき問題を親の問題としてとりこむ癖がとれてきたのだ。

これまで気になって変えさせたいと思っていた行動が、これは子どもが問題を持っているのかも。親の私に出来ることは何だろう。と自然に思える自分が出来てきた。

そして、その感覚は、、子どもの成長と共に、今もなお増殖している。

 

親になって忘れていたもの


学び始めて暫くしたころ、自分が高校生の頃に夢中になったバンドのCDを聞いた。

涙が出た、そこに流れてきた詩は、社会や親の破壊的なしつけ、常識に反抗する若者の心の叫び。そのままの自分を認めて欲しい、愛されたいと願う歌だった。

私は親になって、子どもの頃に感じた心の痛みを忘れてしまっていたことに気がついた。

自分が詩や曲を書いていたのも、これを伝えたかっただったはずなのに。

 

それは、子どもが感じている今の気持ちを、ありのまま認められる大人でありたいと強く感じた出来事でした。


ママが「親業を学んでいて良かった!」


もう息子は忘れているかもしれないけれど、小学校6年生の時に「ママが親業を学んでいて良かった」と言ってくれた。

自分を変える決心をして本当に良かったと思った瞬間だ。

小学校6年~中学2年、息子は大きく変化したように見えた。

中学2年生のある日、「変わったよね~ 何か変化があったの?」と聞くと、少し考えて「最近、ママに自分の意見が言えるようになったからかな」とついぶやいた。

今までも、ママに意見は言えていると思っていたけれど、子どもがそう感じるまでに、学び始めて6年を要している。

「どうやって変われたの?」と聞くと、「なりたい自分に変えようと思って頑張った。怒らないように頑張った。最初は大変だったけど慣れた」

自分を変えたいと思い努力した息子に、一人の人間としての尊敬の念を覚えた。

それと同時に、親とは無力なものだと思った。

こうして自立していくのだとさびしい思いもした。

でも、こうして成長してくれたことが嬉しくてたまらない。

まだまだ色んな壁にぶつかるであろう子ども達、これからも〝子どもがなりたい自分になるため〟の助けになれる親でありたい。

そして、人間としての親の背中を見せていけたらと思い活動している。


そして、今年、そんな息子が高校へ入学した。

中学の卒業式で手渡された「母への手紙」には、「自分の夢に向かって走り出します。応援よろしく!」の宣言と、「お互いがんばりましょう」の文字。

 

 「あなたは自分の子どもを愛していますか?」

もし、即答できないとしたら…ぜひ、あなたの愛が愛として伝わるコミュニケーション

「親業」を学んでみませんか?

 (2015年5月追記)






クレカ トラブル