元ガミガミママで今は親教育の専門家


親の学校プロジェクト・主宰

ファイミリータイズ・代表

 プロフィール


生駒 章子

(いこま しょうこ)

2011年より、臨床心理学者トマス・ゴードンが創始した「親業」(親教育プログラム)のインストラクターとして、子どもとより良い関係が作りたいと望む保護者・子育て支援者を対象に、講座、ワークショップを提供しています。毎月行なっているワークショップは60回以上に及び、誰でも気軽に参加できるよう毎月開催。

活動の中心となる講座、ワークショップを合わせ、年間120名以上の方に直接合い、講演会では300名以上、イベントでお会いした数を入れると、年間で500人以上の方々に良い親子関係の作り方のヒントをお伝えしています。

私生活では、子どものPTA活動や少年団活動、読み聞かせボランティアなど、今しか出来ない子どもを通じた地域との関わり方を大切にしています。

【生年月日】 1970年1月24日

【住んでいるところ】埼玉県さいたま市

【家族構成】建築関係で働く雑学王の夫、声の仕事につきたいと日夜声を磨く高校生の息子、バスケが得意で野球が趣味の小学生の娘の4人家族。


【資格等】

親業訓練インストラクター/(株)ワーク・ライフバランス認定コンサルタント/姿勢教育指導士

ELM(アドラー勇気づけリーダー)/こども支援士/埼玉県家庭教育アドバイザー/さいたま市親の学習ファシリテーター/(森田ゆり)気持ちのワークショップファシリテーター/ 証券外務員資格

【地域での活動】

埼玉県青少年健全育成審議委員/「こども大学SAITAMA」副実行委員長

一般社団法人さいたまキャリア教育センター元理事


自己紹介

現在は親教育の専門家として活動している私ですが、その昔、口うるさい不機嫌なママでした。

この状況を変えたくて、ありとあらゆる育児書を読みあさり、この悩みを解決してくれる情報を求めて毎日のようにネットサーフィンもしました。

それでも状況は変わらず、むしろ更に悪化。

「子どもを虐待してしまう人の気持ちが分かる…」

とにかく助けを求めていました。もうこのまま我慢するしかないのだ…そう思ったとき、偶然<親業>に出会い目からウロコ…

私はやり方を知らないだけなのだ、やり方さえ訓練すれば、子どもとの関係をやり直せるのだ。

これが最後のチャンス。自分のやり方を変えよう!

そう心に堅く決めて「ママは親業を学んで変わる!あなたといい関係が作りたい」そう息子に宣言して実践しはじめました。

それを境に、私の育児本の放浪のたびが終わりました。

 

あれから10年、今は「不機嫌な子育て」「子育てのリバウンド」「我慢の子育て」を克服し、インストラクターとして、あの頃の自分と同じ思いの方々に寄り添っている。

今だから自信を持って言えること。

 

「自分のやり方を変える決意とほんのちょっとの努力で、
子どもとの関係はいつからでもやり直せる」

「その努力は、あなたの生き方を楽にする」

 

「あなたは自分の子どもを愛していますか?」

もし、即答できないとしたら…ぜひ、あなたの愛が愛として伝わるコミュニケーション

「親業」を学んでみませんか?

 


以下はさらに詳しい自己紹介となります。


幼少~ガミガミママを卒業するまでのお話し


 幼少~結婚

「勝気な子」幼少の頃、父が友人に私を紹介するときに使っていた言葉です。

その頃は意味が分からなくて、でも、ずっとその言葉が頭に残っていました。

愛知県瀬戸市の当時の新興住宅街で育った。

図工と体育が得意で、他の教科は普通。

ドッチボールは誰にも負けない自信があった小学校時代。

家では父と母のケンカが日常茶飯事。

寝ている布団の上を二人が駆け抜けていくことも。

この頃、父はそれまで勤めていた会社を辞め、自分で会社を起こしている。

会社が軌道に乗るまでは、母が昼夜働いて家計を支えた。

幼少期、母に声を荒げて怒られた記憶はない。父はとても怖かった。

小学生の頃の私にとって、これは普通の光景、でも、あまり人に言っちゃいけないのかもと幼いながらに思った記憶があります

今考えると二人はとても人間的だった。子供のために、自分が損をしても献身的に考える母の大きな愛と、常に自分自身、社会と戦ってきて正直な父。

心から二人のそれぞれの幸せを願っている。

 

 高校時代~上京

小さな頃から漫画家とシンガーソングライターになると決め、地元のデザイン科のある高校に進んだ。

学校の帰り道、一人になると、自作の曲と詩を口ずさみながら空と新興住宅街の風景を眺め、家に帰ると夜中まで漫画を書き、出版社に送っていた高校時代。

学校や世の中の権力と不公平さに焦燥感を抱き、勉強をする意味が分からなくて、高校時代2回の家出。好きな事を好きなようにやりたかった。

2度目の家出は深夜バスで友達と東京にやってきた。

これで自由になれると思った。でも、3日でお金がそこを尽きて家に電話を入れる。

高校は辞めるつもりだった。勉強する意味がないと思った。

でも、辞めなかった。親が学校に謝りに行ったのだ。

 

高校卒業と同時に上京。

音楽の専門学校に通い、ライブ活動をしながらながら漫画を描いた。

卒業後も、好きな事をするために働き、音楽活動と執筆活動を続けた。

縁あって、ある出版社が発行する雑誌で2本の漫画を掲載。その後は漫画を描かなくなり、音楽付けの生活となる。

たくさんの友に恵まれた。自分を高めてくれる出会いもあった。

幸運なことに、自分の書く曲と詩が好きだと言ってくれる人も多く、音楽事務所やレコード会社とのデモテープ作りやソロでのライブ活動も行なった。

好きな事をしているはず。でも、いつも満たされないものを感じていました。

印象に残っているのは、20代の中ごろ、大勢の友達といる時、強烈な不安に襲われたのを今でも覚えている。

「さびしい」「切ない」

一人になりたくない、でも、誰かといても寂しい。

当時は上手く言葉に出来なくて、その思いは詩を書くこと、曲を作ることで消化していたと感じます。

 

そんな中、友達の紹介で今の主人と出会い結婚、出産。

出産前後には夫婦の価値観の違いが露呈して、お互いを傷つけあう事多々。

夫婦でいても「さびしい」「切ない」気持ちを抱えていました。

詩も曲も書きたいけれども、なかなか書けないまま、出産後3ヶ月で行なったライブを最後に音楽活動を休止。

 

出産直前、お腹の子が生まれてくるのが寂しい…と思った記憶があります。

その時の私を動かしていたのはお腹のこの子だけ。

 この子が私のお腹から出てしまったら、自分はまた一人になるのかと。

 

 出産~不機嫌な子育てへ

 

生まれてきた我が子は本当に可愛かった。

幸せにしたいと思った、やりたい事をやらせてあげたいと思った。

この子のために頑張ろうと思った。ほとんどやった事のない裁縫で、ベビー服を作ったりもした。

子どもの笑顔を見るのが楽しかった。

家計を助けるために子どもが4ヶ月から2歳まで派遣で働きました。

資格取得もさせてもらえ、働き先に恵まれました。時間がない中でも、子どもの笑顔に癒されがんばれました。

でも、この頃、夫婦喧嘩が一番多い時期でもありました。

「もっと子どもと関わるべき!」「もっと子育てを手伝うべき!」

後に、我が家の夫婦関係は修復し、その頃の夫も苦悩も理解し、今では頼れる旦那!と胸を張って言えるが、この頃の出来事を話し始めると感情的になる自分がいる。

子どもが小さな時の、妻が感じている夫の協力度合いが、その後の夫婦関係を作っていく大きな要因の一つとなるのは間違いないと思う。

 

成長していく子どものそばにいたい。

息子が2歳を過ぎた頃に仕事を辞めて専業主婦になった。

24時間子どもと一緒の生活。

夫婦関係は相変わらずで、一人で育児をしている感覚。

子どもがつまらなそうにしているととても気になった。

家にずっといることが悪いことをしているように感じた。

子どもを飽きさせないために色々なところに出かけた。

友達をつくってあげないと、色々体験させてあげないと。

あれもこれも出来るようにしてあげないと。

この頃から子どもへの小言が多くなっていく。

子どもは言われて動くもの。子どもなんだから…

(続く)